SALE!OFF!新品DVD!ハート・オブ・ダークネス/コッポラの黙示録(1991) HEARTS OF DARKNESS: ... 発見した本人が1番喜んでるドキュメンタリー。
地獄の黙示録 って映画の製作舞台裏ドキュメンタリーです。
地獄の黙示録好きな人は絶対に見たほうが良いですよ!
しかし、残念な事にこの動画、最終パート12のみ音声が有りません・・・
そのかわり、最後に日本公開時の予告編を付けて置きました。
★誰よりも早く見る洋画の新作DVD一覧★ ★アダルトDVDをこっそりチェック★ 上映中の洋画一覧はコチラ 解説 撮影ロケは、フィリピンのジャングルで行われた。アメリカ軍の協力が得られなかったため、映画に登場するF-5戦闘機やUH-1ヘリコプターは全てフィリピン軍の協力に拠った。当時フィリピンは共産ゲリラとの内戦や南部イスラム教住民の反乱に直面しており、そのため彼らの実戦出動によってヘリコプターシーン撮影のスケジュールが乱れる事もしばしばであった。途中、フィリピンを襲った台風によりセットが全て崩壊したこともスケジュールの遅延に影響した。この時の台風の模様は撮影され、ストーリー上急遽役割が与えられた。フランス人入植者たちのエピソードのように、莫大な費用と期間を掛けて細部まで拘りぬいた撮影が行われたものの、劇場公開版からは最終的に削除されてしまったシーンも数多く発生した。以上のような要因で、映画の撮影期間は予定を超えてどんどん延びていった。
コッポラはキャスティング面でも多くの困難に対処する必要に迫られた。当初ウィラード大尉を演じる予定であったハーヴェイ・カイテルは撮影開始2週間で降板し、新たに起用されたマーティン・シーンも撮影途中の1977年3月5日に心臓麻痺で倒れ、一時生死の境をさまようほどの状態になってしまった[3]。報道写真家役のデニス・ホッパーは麻薬中毒でセリフが覚えられず、事あるごとにコッポラと衝突した。それ以外にも主演のマーロン・ブランドが撮影当時極度に肥満していたため、物語の設定を一部変更する必要が生じたこともあった[4]。ブランドはキャスティングや脚本に対して自己中心的な主張をすることも多く(デニス・ホッパーとセットで共演する事を拒否したという)、遂には監督であるコッポラが心労で倒れる事態にまで陥ってしまう。トラブルは以降も続いたため、ストーリーも大きく変更され、後に脚本担当のジョン・ミリアスが不快感を表明するに至る。
制作発表時、ベトナム戦争やアメリカ及びアメリカ軍を批判的に扱った最初の映画として物議を醸したが、スケジュールの遅延やキャスティング面でのトラブル、監督であるコッポラの完璧主義によって撮影と編集が異常に長引いてしまった。撮影は17週間の予定が61週間(1976年3月~1977年5月)にも延びて、編集にも2年余りの時間が掛けられた。同様にベトナム戦争を題材にし、この映画の後から制作が始まった『ディア・ハンター』の方が先に公開されたほどである。映画の完成が遅れるに伴って、映画の制作費も当初の予定を大幅に上回る結果となった。最初の予算は1200万ドル(当時の日本円で約35億円)だったが、実際に掛かったのは3100万ドル(約90億円)だった。そのうち、1600万ドル(約46億円)はユナイテッド・アーティスツ社が全米配給権と引きかえに出資したが、残りはこの映画を自分の思いのままに作りたかったコッポラが自分で出した。資金の一部は、日本の配給元でもある日本ヘラルドから支援されたともいわれる。
コッポラの妻エレノア・コッポラは後に撮影手記『ノーツ―コッポラの黙示録』を出版。また、彼女が撮影の舞台裏を撮影したビデオや録音テープにスタッフ、キャストへのインタビューを加えたドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』(原題:Hearts of Darkness: A Filmmaker's Apocalypse)が1991年11月に公開。当時の制作現場がいかに「戦場」のようであったかが窺える記録映画となっている。
いつもポチポチポチッと応援ありがとうございます
2009/09/27(日) 23:18:47 |
ドキュメンタリー
| トラックバック:0
| コメント:0